鈴木工務店の家づくりへの想い
職人気質の先代の家づくり
(先代社長 鈴木太一)
鈴木工務店は、初代鈴木太一が終戦後に新城市大野の地で起業しました。
初代は、尋常高等小学校卒業後、豊橋市内の大工親方の下で大工修行を致しました。
その後、結婚して当地新城市大野に住居を構えました。大野に来てからも個人大工として、大工仲間とともに大工業に邁進していました。
が、大東亜戦争がその頃には激しさを増し、衛生兵として中国に出兵しました。その後内地に転戦し、終戦を迎えます。
終戦間もない昭和20年10月7日、この大野の地で鈴木工務店を起こしました。
『見えない部分にも細心の気配りをし、職人の腕もかける』
これが、初代のモットーでした。この通りの、“職人気質”の頑固さで、当初から匠の腕を活かした家づくりを行ってきました。
とにかく、現場一筋。「営業なんかしんでもいいんだ」という程の頑固さ。
時間があれば木材市場に行き、より良い木材を求めて丸太を見定める、そんな職人社長でした。
その現場への想い、妥協しない家づくりへの姿勢を評価いただき、地域のみなさんの住まいを建てさせていただいてきました。
以前に、初代の頃に建てさせていただいお客様のお宅に伺った時も
「本当にしっかり建ててもらったので、今でも全く狂いがなく、経った年月の味わいが出ている」
と言って喜んで下さいました。
自社職人の確かな技術力と、木の本質を十分に活かすために木材を蓄え乾燥させてから施工する、職人気質の初代の想いがこもった家づくりを展開してきました。
2代目に継承、「marutaHOUSE」の誕生へ
新城の地で地元のみなさんに信頼いただき、事業を展開してきました。
そして、昭和51年6月1日に「株式会社鈴木工務店」へと組織変更し、平成元年8月18日には2代目社長鈴木 一三六へと承継しました。
承継後も、初代の培ってきた家づくりの良さをベースに、みなさまのニーズに応える家づくりを行ってきました。
しかし、時代は変わり、20代、30代の若い方が主に家づくりをされるようになりました。
その中で営業に伺っても、
「鈴木工務店さんのつくる家は丈夫でいいことは知ってますが、費用が高く私たちの予算ではとてもお願いできません」
と言われることが多くなってきました。
「父 太一の頃から受け継ぐ自社職人の腕を活かした家づくりは間違ってはいない。
今の若い世代が家づくりをする時代には、合っていないのか」
これからの会社のあり方を思い、悩んでいた時期でした。
その時に知ったのが、今も当社が加盟している「JAHBnet(当時アキュラネット)」の高性能・低価格の家づくりでした。
中堅ハウスメーカーのアキュラホームさんが工務店支援事業として自社の高性能・低価格の家づくりノウハウを全国の工務店に提供していました。
・FCではなく、鈴木工務店として事業ができること
・元々の当社の家づくりを活かし、コストダウンが図れること
この点を重視して、当時の棟梁とともに説明会を聞き、「これからの鈴木工務店には、これが必要だ!」と思い、自社の家づくりにこのノウハウを導入しました。
そして平成12年、自社ブランド『marutaHOUSE(マルタハウス)』が誕生しました。
これまでの鈴木工務店の家づくりの良さでもある、
『自社の職人の腕を活かし、現場でお客様の想いをカタチにする』
ということを守りながら、合理化を図りコストを抑えています。
和風住宅も建てられる自社職人の技術、合理化によるコストダウンを中心とした高性能でありながら適正価格の住まいです。
誕生から、約20年。新城市内だけでなく東三河から浜松まで多くのお客様のお家を建てさせていただきました。
令和時代、多様な想いを実現する家づくりに向けて
創業から75年。
昭和、平成と地域のみなさんに信頼いただき、支えられて事業を展開してきました。
新しく令和の時代になっても、当社の家づくりの基本は変わりません。
ZEH・パッシブハウスという高断熱の住まいづくり、耐震等級で見る耐震性能の高い住まい、SNSの普及による家づくりの情報の多様性等々、時代や社会情勢、様々な産業構造の変化がこの住宅業界にも訪れています。
その変化にはしっかりと対応しながら、鈴木工務店の家づくりの原点は変わりません。
〇お客様のわがままを叶える自社職人による現場施工力
〇安心して快適に暮らせる耐震性、断熱性の住まい
〇創業75年で積み上げてきた信頼と実績
初代より受け継いできた自社職人の技術を活かし、適正価格にてお客様の大事な家づくりを行い笑顔になっていただく。
それが、当社鈴木工務店の家づくりであり、私たちの信念でもあります。
これからも、1組でも多くのお客様と出会い、そのご縁を大事にさせていただきながら、当社の家づくりを展開していきます。